遠くに行くためにダービーの馬券を買う

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ダービーの日、混雑する府中競馬正門前駅の改札。

もしくは府中本町駅への長い歩道。

それらを避けて東門から東府中方向へ、そのまま歩いて帰るために府中に家を買ったのに、今年もまだ入場制限のない東京競馬場は実現しておらず、入場券の抽選にも外れてしまった。

 

2月の共同通信杯を観た時、「ダービーはダノンベルーガで決まりだ」と思った。

俺だけでなく、相当数の人がそう感じたと言い切れる、気持ちのいい勝ち方だった。

それが乗り気でもないのに皐月賞に出てきて、伸びる気があるんだかないんだかわからない競馬で4着に敗れた。

ダノンベルーガにとって、ダービーを見据えれば、すべてが余計な皐月賞だった。

付け入る隙はある。

世の中、金もあり、地位もあり、名もある者だけが栄えていくのでは面白くない。トウショウボーイの馬券を買うのは、いわば「自分の安心を買う」のであって、賭けではないという気もするからだ。十中八九はトウショウボーイだとしても、残り一、二%の可能性に賭けるのがギャンブラーというものではないか。

「男なら負けるケンカも買わねばならぬ」のである。

寺山修司『競馬三文オペラ』より)

誰でも、偶然なしでは生きている愉しみがない。そんなとき、無印の非力な馬の馬券を一枚買ってみる。その馬の「万に一つの逆転の可能性」は、そのまま自分の人生の「万に一つの逆転の可能性」に通底しているからである。

寺山修司『山河ありき』より)

俺はダービーの馬券を的中させて、どこでもいいから遠くに行きたい。

遠くに行くためにダービーの馬券を買う。