紅林弘太郎のサヨナラ打と懐古趣味

オリックス紅林弘太郎がプロ初のサヨナラ打。紅林は20歳2カ月。オリックスの選手で20歳以下のサヨナラ打は、61年6月11日東映戦(ダブルヘッダー第1試合)で20歳7カ月の岡村浩司が9回2死からサヨナラ安打を打って以来、球団61年ぶりとなった。

(日刊スポーツ)

岡村 浩二(おかむら こうじ、1940年11月10年-)は、香川県丸亀市出身の元プロ野球選手(捕手)。

1972年の登録名は岡村 幸治、1974年の登録名は岡村 浩司(ともに読み同じ)。

wikipedia岡村浩二」の項より)

去年の日本シリーズでは、紅林がヒットを打つたびに「清原和博(西)以来」「坂本勇人(巨)以来」の文字が記録欄に並んで、ふたりはつくづくすごい選手だったと(坂本は現在進行形だけど)あらためて認識させられたものだった。

若い選手が活躍するたびに、はるかな昔と野球がつながる。

イチローがメジャーでヒットを量産しだした頃には、シューレス・ジョーの記録まで引っ張り出して比較されてたもんな。

観たことのない試合ですら懐かしいと思える、懐古趣味の者にとっては楽しい世界。

20歳7ヶ月でサヨナラ打を放った時は、岡村浩司ではなく岡村浩二だったはずだ。

NPBのサイト上に「高松商立教大学」と経歴が記されているにもかかわらず、20歳そこそこで阪急の選手として試合に出場しているのは、彼は立教大学を中退してプロ入りしたからだ。

日本シリーズでのブロックと退場については、彼が「あれはアウトだった」と思っているのなら、触れる必要はないと思う。