救護なんて二度としない

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今日や昨日のことではないけれど、最近だ。

俺は救急車を呼んだ。

 

自分のためではなく、座り込んで、脂汗を流して、青い顔をしている爺さんのために救急車を呼んだ。

救急車というのは、どうしたらこんなにと驚嘆するくらいあっという間にやってくるけれど、それでも瞬間移動ではない。

到着するまでの間、俺は爺さんの背中をさすり、励まし、意識があるのを確認していた。

 

そんな様子を見ていた周りの、人の形をした生き物どもは、

「横にしたほうがいい」

「いやそのままがいい」

「救急車は呼んだのか」

と、決して手は差し伸べてこないまま、つべこべと俺の動きを批評し続けていた。

するとひとりのギャラリー気取りが、

「真面目にやれ!早く救急車を呼べ!」(原文ママ

と、俺に向かって怒鳴った。

「もう呼んだ!」

と、俺は相変わらず爺さんの背中をさすりながら、屈んだままの姿勢で怒鳴り返した。

すぐに救急車が到着して、爺さんは運ばれていった。

救急隊員にその時の様子を訊かれて、答えて、俺は案外早く解放された。

青い顔の爺さんを発見してからすべてが完結するまで、おおよそ15分間の出来事だった。

俺を怒鳴ったギャラリー気取りは、特に謝ることもしないまま、どこかに消えていた。

 

俺は過去にも一度、救護をしたことがある。

AEDを持ち出して、幸いギリギリで使用する状況にはならなかったのだが、その様子を撮影し、

AED使ってるとこ見たかったのに」(大意ママ、文面は改変)

のコメントをつけてアップされているSNSを発見してしまった。

あたふたと動く自分の姿を見せられ、そこには撮影者の実況まで付けられていて、その時から俺はもう二度と救護なんぞするものかと決めていたのだ。

 

運ばれた先で爺さんがどうなったかは知るよしもないけれど、状況の悪化を避けながら救急隊員に引き継いだのだから、今回は助けてしまったといっていい。

こうして俺は過去の自分との約束を破ってしまった。

助けられる相手を助けなかった場合は「未必の〇〇」「不作為の△△」のような罪に問われるのだろうか。

殺人ほどではないにしろ、それなりに重い刑を受けたりするのだろうか。

それならば、それがよかった。

懲役の5年や10年や15年で済むのなら、そっちのほうがよっぽどよかった。

 

俺は誤った判断をした。

何よりも過去の自分との約束を優先するべきだった。

こんなにうんざりした思いをするくらいなら、爺さんを見殺しにするべきだった。