東京都は2日、この日新型コロナウイルスへの感染が確認された人が107人になったと発表した。都内で1日の感染の確認が100人以上となるのは、大型連休中の5月2日以来。5月25日の緊急事態宣言解除後、東京都は経済活動のレベルを引き上げてきたが、日々の感染者も増加、先月26日以降は新規感染確認者が50人を超える日が続いている。
(ロイター)
遅めの昼休みに入ったところでこのニュースを見て、これはもう無理なんじゃないかと思った。
昨日の67人から70人台、80人台、90人台を一気に突き抜けての107人。
俺はまったく食欲が失せてしまって、フードコートでコーラを飲んでぼんやりしているだけで昼休みを終えた。
ここでいつも群がってベラベラ喋っている同じ顔ぶれの年寄りたち、お前らみたいなもんが……といつも思っていたが、間違いだった。
俺が悪かった。
再びこの世をあの世に戻してしまうのは、夜の街のホストたちのようだった。
数字の見方はいろいろある。
検査数が増えたんだから、そうはいっても軽症者が多いんだから、病床にはまだ余裕があるんだから、などなど。
しかし重かった。
107人のインパクトは大きすぎた。
外に出るのは愚か者と言われていた時期に、俺はインフラを守るために外で働いていた。
また緊急事態宣言が、なんてことになると捨て石になって働かされる日々がまた、始まる。
街には狂った人間ばかりが堂々と跋扈し、なんなら俺もその一員となる。
小池百合子のステイホームもどうやっても俺には適用される気配がない。
正直にいうと第一波、最初の緊急事態宣言を乗り越えたあたりで、物事の見え方と聞こえ方がまったく変わってしまった。
緊急事態宣言が解除されると、今まで引きこもっていた人間たちもノロノロとこちらに出てきた。
彼らはまだ危ない、気の緩みだ、社会的距離がどうだこうだと言いながら、外には出てきた。
俺にはそんな彼らの姿が、貴族たちのお遊戯にしか見えなかった。
守られた立ち位置のある人間が、束の間のコロナごっこを楽しんでいるのだ。
「このTLには怨嗟が渦巻いているからもう見ない」というツイートを見たのも覚えている。
収束の気配がない新型コロナウイルスにイライラが募ったツイートを見ての感想だったのだろうが、お前も渦巻きに加速をつけてる立場だろうと思った。
しかしおそらく彼には守られる立ち位置があって、彼の言葉は特別なものであるから、下々の者への呪詛は不問になると思い込んでいる。
なんだかもうあらゆる人間の言葉が、聞く価値のないものであると信じて疑わなくなってしまった。
聞く価値のない言葉を吐く貴族たちのお遊戯、俺はそんなものを守るための捨て石にしかなれなかったのだ。
高いところの電球を替えたかったら、俺を踏みつけて手を伸ばせばいい。
出世したかったら、思いっきり俺を踏み台にして、成功を取り上げて失敗を押し付けて出世すればいい。
もう生きる価値のあるヤツだけ生きればいいんだ。
それでいいんだ。
俺はどうにかしたかったけれど、帰りの駅前に貼られている都知事選のポスターを見たら、もうどうしようもないのだと諦めた。
完全に諦めた。
だから俺を踏みつけろ、俺を踏み台にしろ。
そしてお前らは生きろ。