ノムさんの話

11日未明に野村克也氏が亡くなったことを受け、テレビ局の取材でヤクルト2軍の宮崎・西都キャンプを訪れた古田敦也氏(54)が、恩師を悼んだ。

現役時代は野村監督とヤクルト90年代の黄金期を築き、4度のセ・リーグ優勝、3度の日本一を貢献。薫陶を受け、野村ID野球の申し子とも言われた。「思い出は語りつくせない。9年間ご一緒させていただいて、捕手としてのイロハを含めて、プロ野球を1から教えていただいた。公私に渡ってお世話になりました」と話した。(以上サンケイスポーツ

ノムさんの実績とか、名言とか、育てた人とか、サッチーのこととか、そういうことを知りたい人はとっくによその記事を読んでいるだろうから、いいだろう。

 

今朝出勤すると、職場の中では若いほうの女性が「野村さん亡くなりましたね」と話しかけてきた。

楽天の監督時代の姿は覚えていて、試合が終わると面白い話をするおじいちゃんだと思っていて、サッチーのことはよくわからないという。

そんな話をしていると、再雇用中のベテラン技術者が混ざってきて、俺は川崎球場でロッテのユニフォームを着てプレーしたノムさんを見たのだと自慢する。

女性の同僚は銀座で飲んでいるノムさんを見たことがあるという。

一体どんな店で見かけたのか、尋ねようとしたところで始業の時間になって、話はひと段落してしまった。

 

もう渡ったのか、それともこれから渡るのかは分からないが、この国では亡くなった人間は三途の川を渡ることになっている。

川があるなら河川敷がある。

河川敷には草野球場がある。

ノムさんはすっかり若返って、今頃またブツブツ言いながらキャッチャーミットをはめているのだろうか。

いや、やはりノムさんに似合うのはベンチで指揮をとる姿ではないか。

不貞腐れながら三途の川の手前までやってきたベテラン投手に「シュートを覚えろ。お前もう後がないんだろ?シュートで攻めることでスライダーが生きてくる」と指導して、生者の世界へ逆戻りさせるシーンもあるかもしれない。

 

とにかく俺が言いたいのは、古田は早く現場に戻れということだ。

 

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