残像のように餃子屋が連なる街、それが宇都宮。
時代は戦時中にさかのぼる。当時、宇都宮にあった陸軍第14師団は、長く満州に派遣されていた。その兵士が宇都宮に帰ってきた際、現地で食べられていたギョーザを広めたことが「宇都宮ギョーザ」の発祥と言われているそうだ。
1990年、まちおこしになるものを探していた市の職員が、宇都宮市のギョーザの購入額が日本一ということを知り、「ギョーザでまちおこしをしよう」と発案。これを受けて、観光協会が市内のギョーザマップを作ったり、ギョーザ店が集まって「宇都宮餃子会」を発足させたりといった取り組みが始まったのだという。(いずれもマイナビニュースから)
素直に信じれば、宇都宮が餃子の街になったのは1990年から。
ただ陸軍第14師団なんて古すぎて怪しすぎるルーツから語られているから、もともとそれなりに餃子屋が多いくらいの街ではあったのだろう。
俺はお隣の群馬県に1980年から住んでいたから、かつてここが餃子の街でなかったことを知っている。
『噂の東京マガジン』で「餃子の街なんて……」のニュアンスで嘲笑するような取りあげられ方をしたことも覚えている。
しかし、もうこれで定着したのだから立派なもんだ。
そして井崎脩五郎は本当に息が長い。
で、俺は素直に餃子を食った。
わざわざ新幹線で宇都宮にやってきて餃子を食った。
餃子を食った後に、餃子マップをもらった。
このあたりをおおらかさと捉えられるなら、あなたには北関東適性がある。
段取りが悪いと渋い顔をするようなら、南関東から北上しないほうがいい。
怒り出すくらいなら、家から出ないほうがいい。
大概の地域ブランドランキング的なものでは、群馬栃木茨城の北関東三兄弟はワースト3を誤差の範囲内で争っている。
当然ここで育った人間のひいき目はあるが、そこまで魅力のない土地だとも思わない。
接客の雑さを量と安値でフォローする飲食店たち、柵のない解体屋がたくさん、高校生は革靴のかかと踏んづけてる、東武の特急は何年経っても遅いまま。
で、宇都宮駅からsuicaの使えない関東バスに乗って、今回の真の目的地に向かうわけです。
宇都宮市に唯一残る銭湯が宝湯。
水のいい宝湯。
どことなく銭湯は歩いて向かうイメージがある。
なんなら下駄履きでカランコロンと音を立てて向かうイメージだ。
しかし北関東は広大な荒野にまばらに人が住む車社会、そのあたりに銭湯が生き残れなかった要因があるように思える。
料金は420円。
サウナ利用の追加料金もなくありがたいが、宇都宮まで来て420円とはなんだか払い足りないような気持ちになる。
シャンプー、ボディソープは据え置きあり。
テレビのある遠赤外線サウナは100℃を超えており、銭湯サウナとしては上々といっていい。
評判の水風呂は、バイブラが効いていてトロトロの感触だ。
キーンと冷えたタイプではなく、身体が溶け込んでいく感覚になるほうの「気持ちいい水風呂」だ。
なにせ宇都宮で唯一の銭湯、地元民が当たり前のように水風呂とはこういうものだと思っていたら羨ましい話だが、大五郎の空ボトルを持って水風呂脇の蛇口から汲んでいくお客さんが何人かいたから、水がいい認識は持たれているのだろう。
そして休みは毎月の「10日」のみ!
曜日指定ではなく、毎月休みはたった1日だけなのだ。
そういえば南大門に行かなかった。
南大門にはあらためて泊りの機会をつくって来ることにしよう。
ただしその時も、宝湯には寄ることとする。
【宝湯】