さよなら平成

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昨日は家族が寝てしまってからずっとぼーっとしていて、何時に寝たのか覚えていない。

だから今朝は仕事もないのに6時前に起きてしまって、これが早寝早起きなのか、加齢での早起きなのかはわからない。

大袈裟ではなく、最近は昔より睡眠との付き合いが難しくなってきた手応えがある。

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外に出て、コンビニで新聞とパンでも買ってこようと思ったら雨が降っていて、今日の天気予報は一日雨だったことを思い出して、もう平成の青空を見ることはないんだなと思った。

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寂しいね、やっぱり。

元号なんかいらない、西暦で統一しろという意見には与しない。

仕事で面倒な思いをする人がいる……というのには同情するし、俺もそのひとりであるのだけれど。

なんというか、情念の足跡を残せる社会の慣例は残したい。

生かしてやりたい。

いろんなことを忘れがちな人間としてはそれが有り難い。

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俺は「教育はちっぽけな大人の再生産であってはならない」という言葉が好きだ。

これは長いこと「やまびこ打線」池田高校の蔦文也監督のものだと思っていたのだが、どうも石川啄木からの引用だったらしい。

どちらの人物も才能、能力、そしてろくでなしの一面が見え隠れしている点では共通している。

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令和は平成の縮小再生産になってしまうのだろうか?

大方の予想からいけばそうなのだろう。

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ただ予想なんて大概当たらないことは、毎週の競馬が証明してくれている。

案外楽しい令和になるかもしれない。

それとも、平成の縮小再生産すら叶わない時代になるかもしれない。

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昭和生まれの「人生再設計第1世代」は、令和からのやり直し。

平成はスキップしてしまったということか。

消えてしまった仲間たちに、もう一度会うことはできるのだろうか。

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人や物を切り捨てることでステータスを得る時代はもう終わりにしてくれ。

平成とは、いかに巧妙で間接的に人を殺せるか、そのテクニックを競う時代だった。

振り返れば社会人になったのが平成14年、あの頃の上司に指導されたことなんて、今となっては何の役にも立っていない。

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もうそこまで迎えがきている。

そろそろ、令和に向かいましょうかね。

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さよなら、平成。

お疲れさん。