イチローが土井正三監督から解放されてスターになったのはオリックスブルーウェーブでの3年目、20歳の頃だった。
父親の「チチロー」と春日井のバッティングセンターで練習に励んだ少年時代のこともよく語られていた。
210本の安打を記録したシーズン後、実態があるのかないのか分からないバッティングセンターの業界団体から表彰を受けていたのを覚えている。
その頃すでに、バッティングセンターは斜陽ではあった。
しかしそのイチローが43歳になっても、かつてのように常時出場する選手ではなくなってしまっても、日本にはバッティングセンターが健在だ。
ちょっとした市なら1ヶ所、大きな市なら2ヶ所程度は存在してる印象。
たったそれくらいではあるが、それに新築でピカピカのバッティングセンターが開業したなんて話も全く聞かないが、生き残ってはいる。
妻の実家がある信州の中堅市にもしっかりバッティングセンターはある。
そこで4歳の息子がバッティングセンターデビューを果たして、超遅球のソフトボールではあるが何球かバットに当たったりして「手が痺れた」と言って喜んだりしていた。
アニメチャンネルで『メジャー』なんか見ていたせいか、何となく構えの形は知っているようだった。
その後は高校野球中継を眺めたりしていて、親から子へ野球好きも受け継がれだのだろうか。
満足にキャッチボールができる公園もないような時代、それでも野球に興味を持とうと思えば、入り口はアニメかバッティングセンターなのかもしれない。
俺は仰木監督の近鉄時代、球場に向かう近鉄電車の中で(仰木監督は車の運転をしなかったらしい)、少年ファンに「監督、野茂はいつ投げるんですか?」と訊かれて、手帳を開いて「今度野茂が投げるのはねえ…」と答えてあげたというエピソードが好き。
多分、野球に関わるエピソードの中で一番好き。