アラフォーの俺が小学生の頃だから、相当昔の話だ。
強豪校の中の一校だった。
優勝は叶わなかったが、2年連続夏の甲子園で準優勝もしている。
何も知らなかった俺は、「沖縄は南にあるし雪も降らないし年中暖かいしずっと練習できるから強いんだろう」と思っていた。
人を裁く「裁」ではなくて、育てる栽培の「栽」監督だ。
大野倫という投手を、無理を承知で連投させ、潰してしまった監督。
その後、大野が野手としてプロ入りしたのには驚いたが、とにかく投手としての大野は高校野球で終わってしまった。
鉄拳制裁、大野には普段から度を越した体罰をもって接していたことも書かれている。
沖縄から中京大学に進学し、思い知らされた沖縄と内地の野球と生活のレベル差、時に受ける差別的な扱い。
中学野球の延長でしかない沖縄のレベルを何としても上げたいと指導者の道を選び、夢と現実のギャップに苦しむ日々。
そこからたどり着いた甲子園での準優勝。
栽監督の情熱は、沖縄が背負う重い重い歴史から産み出された反逆のエネルギーだったに違いないが、それでもこのおっさん、喰えんなあと思う。
サラリーマンの月並みな想像だが、こんな上司だったらこいつを殺して俺も死ね。
しかし、自らの投手生命を殺された大野は、栽監督に恨みの念は抱いていない。
「人間は、友情と思い出があれば生きていける」
栽監督の言葉。
無茶苦茶なおっさんでも、根底にいかにも青春という思いを忘れない人だったから、選手たちも付いていけてしまったのだろう。
そして、だからこそ栽監督は酒場で女性にもてたのだろうと。