史上初の6タテを達成したロッテは、前カードから合算すると、7年ぶりとなる8連勝。首位をキープした。
(デイリースポーツ)
頼みの山本由伸が打たれたことも、これで1勝8敗となったことも、先週金曜日に開幕したばかりなのにもう首位とは7ゲーム差をつけられた最下位であることも、すべてここではさておくとして(さておくのかよ!という異論は全面的に認める)、俺が引っかかったのは引用の部分だ。
史上初の6タテ。
今年は新型コロナウイルスのせいで極力移動を減らすということで、同一カード6連戦が組まれた日程になっている。
これまでにこんな日程を見た記憶はなく、シーズン終盤にそれまでに雨天中止になった分をあてがわれて3連戦→4連戦になるのを、それでも時々見るくらいだった。
近鉄が10.19を戦った昭和63年も、確か川崎球場でロッテ4連戦があった。
6連戦とは俺が知っている常識の中ではあり得ないが……
しかし調べてみたくなった。
ありましたよ、こんなのが。
8月11日からVS東映7連戦。
毎日1試合の7連戦ではないが、のっけからダブルヘッダーが続いて6日で7試合とこちらのほうがタフだ。
場所も駒沢球場から川崎球場に移っているが、世田谷から川崎なら当時でもご近所みたいなものだろう。
こんな日程を組まれていたのは昭和31年の高橋ユニオンズ。
数合わせのために新規参入し、3年間で消滅した幻の球団のこれは最後の年だ。
結局52勝98敗4分、8球団中8位で終えるペナントレースだったのだが、この7連戦の3勝4敗は健闘といっていいだろう。
高橋ユニオンズでもうひとつ、これは昭和30年のVS南海6連戦。
これもお休みとダブルヘッダーが1日ずつ含まれているため、結果として6日で6試合になっていて、最後は甲府までの移動もあって渋い構成になっている。
選手たちはおそらく、新宿に出てから指定席のある急行アルプスで甲府へ向かったのだろう。
このシーズンは42勝98敗1分、99勝を挙げて優勝した南海が相手では6連戦の1勝5敗はやむなしだったか。
この写真の下側、見切れそうな部分で大映を相手に勝ち投手になっているスタルヒンは、この日をもって日本球界初の300勝投手になった。
そしてその1年4ヶ月後、車で東急玉川線に突っ込んで死んでしまった。
スタルヒンが死んだのは今の俺と同じ40歳だった。
高橋ユニオンズは人気がない。弱くてお客が来ない。したがって他の球団に迷惑をかけるということはよくわかっている。だが、子どもを産んでその子どもに産衣もやらず、栄養剤も与えず、ロクすっぽ面倒をみないばかりか、却って継子扱いをしたとしたら、いったいその子はどうなる。まともに育つわけがないではないか。いつも栄養失調でフラフラになり、ただ呆然と死期を待つばかりだ。これでは育てるどころか、逆に死の宣告を与えているようなものだ。こんな残酷な親は誰からも責められなくていいのだろうか。
(『最弱球団 高橋ユニオンズ青春記』より)
こんな時代の、こんな状態のチームでも、6タテは食わずに頑張ったのにね。
来週は所沢で6連戦。
西武の選手たちは今頃ニコニコしているのではないか……。