1979年生まれの世代は160万ちょい、平成末期の世代は100万を切っている。
日本の出生数はまあ減少の一途と言っておけば間違いないのであって、俺たちの前の世代はもっと多かったわけだ。
氷河期世代はもちろん経済的にどうのこうのというのが大きかったけれど、結局のところ日本人が住む日本国の器の中で日本人の数が飽和状態になって、積極的に保護する動機のない層からこぼれていった(こぼされていった)結果だったと思っている。
あの頃を生きていた俺の実感だ。
単純に経済が落ち込んでます、だから雇用ができません、お金が稼げなくて大変ですね、というだけの話ではなくて、社会を前に右往左往している(させられている)世代を世間は嘲笑してたよね。
ざまあみろと思っていたよね。
特にテレビカメラはリクルートスーツの集団を好んで撮っていた。
渋谷で割と大きな会社説明会に出た後、どうしてかビルの出口ですぐにカメラとマイクを向けられたことがある。
「なんにもないです」と落合博満の契約更改をイメージしながら答えたら、夕方のニュースで流れたらしく、帰ったら友だちが笑っていた。
学校でも会社でもどんな集団でも、妙にまとまりがいいなと思える時は役立たず扱いされ、過剰にバッシングの対象になっている人間が必ずいる。
要するに生贄だ。
社会を構成する人間たちの精神を安定させるための、踏みつけるための差別区別の対象が俺たちの世代だったと思っている。
上の世代のおっさんおばちゃんたちのとっても大変な時代だったんだ。
それでも平静さと自尊心を保ちながら、昨日の続きの今日を生きるためには踏みつけるしかなかったのだろう。
この救いようのないクソの構図。
当時「彼らはお勉強をしてきただけなので、社会には受け入れられません」と淡々と語っていたMCのことを俺は今でも許せない。
「君たちは生まれてきた時代が悪かったんだからどうしようもないよ」と足を投げ出してニヤニヤ笑っていた面接官は、時代を選んで生まれる特殊能力の持ち主だったのだろうか。
時を経て「今の新人は貴重だから、大事に育ててくれよ」と言われた日には脳が死んだ。
数は多いのだから革命を起こせ!
なんて言い方をされることもあったが、周りを見れば同世代はもう相当数が心を折られてしまったように思える。
いらない人間扱いをされてきたのだから当たり前だ。
人の心は簡単に折れる。
心が折れるということは体も折れるということ。
だから貴重な今の新人は大事にしろよ、折らないように育てろよ。
なんだか頭が痛くなってきた。
正直に言います。
俺も人生を再設計したい。
だから利用できる施策があるなら図々しく利用してやる。
それから「人生再設計第二世代」は生み出さないようにしてくれ。
少なくとも世代丸ごと蔑みの対象にするようなことはもうやめてくれ。
正道を歩みたくても歩めなかった俺にも、そのくらいの良心は残ってる。
そのくらいにはしんどかったんだよ。