新市名は「館林市」で決定!!

群馬県館林市板倉町、いつの間にか合併が決定していた。

そんでもって新市名は館林市になるという。

人口7.5万人の館林市が、1.4万人の板倉町を吸収する形。

残るのは館林の名、自治体だって弱肉強食だからこれはよくあること。

なんで今になって合併なのよ、というのはあるけど。

 

府中白糸台日記にしては唐突な群馬の話だが、俺は高校を出るまで館林に住んでたから。

暑い暑いくらいしか話題にならない土地、もちろん俺がいた当時から暑かった。

 

小学生の夏休みの宿題、毎日天気の記録と気温を測って(当時はインターネットなどない!)日記をつけると、気温の欄には40℃を超える数字が入ることもあった。

場所も時間も、気象観測の流儀にとらわれずに測ってみると、体温なら死にそうな数字が出るのだ。

皆まだ正直な時代だったから、正直に気温を測って、誰の数字が一番高いか争ったりしてた。

覚えているのが「44.5℃」。

 

中学生の頃、花火。

渡良瀬川の河川敷でよく友達と花火してた。

別に河川敷まで行かなくたって、家の前で花火したって誰にも文句を言われない田舎なのだが、どうしてか河川敷で花火してた。

打ち上げ花火も、ねずみ花火も。

線香花火の良さはまだ、理解できていなかった。

 

高校生、硬派な野球部員。

入部したのは坊主にまではしなくていい、というのが決め手だった。

確か仙台育英だったか、やはり坊主ではなく短髪で甲子園でプレーする選手を見て、憧れた。

そうなりたいと思った。

暑い暑い暑い夏のグラウンドは鉄板で、水を撒いてもすぐにじゅわっと蒸発するもんで、それならと自分が水を被って練習してたからもう頭がどうかしてた。

県大会で勝った記憶、3年間で3勝くらい。

 

キンカ堂はとっくになくなって、関東スポーツセンターはまだまだ元気で、おもちゃのアオキも営業してるんだって。

久々、館林に帰ってみたくなってきた。

書きながら。

 

板倉は、雷電神社くらいしか分からん。

生粋の館林市民なもんで、ごめんな。

板倉から自転車でうちの高校まで通ってきてたヤツら、冬場は朝から目が死んでたな。

群馬名物空っ風を真正面から受けながら自転車長距離通学。

今は空っ風もあまり吹かなくなったなんて話もあるけど、そうなの?

 

グローバル社会、クソ喰らえ。

人は本来生まれ育った土地に愛着を持つものだと思ってる。

生まれ育った土地で人生を、 というのが自然な欲求だと思ってる。

館林に残って頑張ったヤツら、結構幸せそうなんだよなあ。