寺山修司の競馬六部作。
しかし本人には六部作を書いた、という自覚はなかっただろう。
内容は報知新聞に連載していた競馬予想コラム「みどころ」「風の吹くまゞ」を時系列で並べたもの。
「菊の花は黄色い。黄色は五ワクである。だが、タニノムーティエが五ワクを引いてみると、ことしの菊はまったく色を失ってしまった」
まだ競馬といえば枠連だった時代の話。
「雨の日の逃げ馬には哀愁がある」
「逃げ馬が好きなのは、育ちのせいだろうか?『オマエ子供のころ、万引きのくせがあったのと違うか?』とスシ屋の政がいった。『逃げ馬の好きなヤツはたいてい、自分の心のどっかに、逃げたいという願望があるからだ』というのが政の持論だからである」
「やくざだった父親が殺人をおかして府中刑務所に入った。その子はいつも府中の長いコンクリートの塀を見上げていて『この中に父ちゃんがいるのだ』と思っていたが、ある日、思い切ってそのコンクリートの塀をよじ登って中をのぞき込んだ。すると中は一面に緑の芝生で、馬が走っているのだった」
「わたしは、たとえ負けるとわかっても本命の持っている権力的ムードに挑戦したい」
「オレは本命は負ける乱世の時代じゃなきゃ面白くないんだ。世の中が変わってくれるんじゃないと、賭けてみる気になりゃしないよ」
「死に神と呼ばれる男がいる。競馬場でそいつに会うと、必ずスッてしまうのだ」
「ところが出走を前に、群衆の中で私はまた例の死に神を見たのだ。彼はふりかえって、ニヤリと笑った、ように見えた。ゲートがあくと、ゼンマツ一頭だけが大きくあおって、十三頭立ての十一着という結果に終わってしまった」
「しばらく旅をしていると、おんなっけがなくていやになった。どんなブスでもおんなが恋しい。今日はメスばかりでいくことにするよ」
「『雨が降らないと欲情しないのよ』というトルコの桃ちゃんと、馬場が荒れないと走る気にならないラファール」
「馬券に当たりはずれはつきものだが、人生にだって同じことがいえる」