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終着駅は西寒川駅

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土曜日の午前中を働いて、午後からの週末モード。

半ドンってやつですな、もちろん本当は一日休みたかったんだけど。

その午後は相模線で寒川へ。

上の写真は寒川駅にほど近い「大門踏切前」の交差点。

踏切の向こうは寒川神社の参道。

そしてこちら側にはかつての「西寒川線」の跡が。

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一之宮緑道という名の遊歩道になっている。

この幅がいかにも鉄道廃線跡

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レールと車輪のモニュメントも。

通称西寒川線は、相模線の寒川駅から分岐して西寒川に至る、たった1.5キロの相模線の支線だった。

まだ相模線をタラコ色の気動車が走っていた昭和59年に廃止されている。

旅客扱いは一日僅か4往復、元々は相模川からの砂利運搬のために敷かれた路線だった。

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もう少し西寒川方面へ進んでみると、レールがそのまま残されている。

名編集者にして鉄道作家で歴史作家の宮脇俊三の名著『時刻表2万キロ』の中にもこの路線を乗り潰すシーンが描かれているが、たった2ページ弱。

まあ1.5キロ、乗車時間4分ですからね。

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「私が茅ヶ崎で降りて『西寒川線』に乗りに行くと言うと、彼はそんな線は知らないと言う」

茅ヶ崎駅前からタクシーに乗ったが、運転手は西寒川駅の所在を知らないらしく、地図を用意しなかった私を当惑させた」

茅ヶ崎の町を抜けて10分も行かないうちに運転手が、『あれらしいな。なんだ日東タイヤの裏か』と独りごちながら車を停めた」

「なるほど、ディーゼルカーが3両、叢のなかの野ざらしのホームに停まっている。こういうところで見ると3両でも長々と横たわっている感じで、八岐大蛇のようでもある」

「きいきいと車輪を軋ませながら右へ右へとカーブして、左窓からさしていた西日が右窓に移動すると、もう相模線の本線に合流して、寒川駅の構内に入った」

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宮脇先生は西寒川から乗ったんだ。

そりゃ乗り潰しのためだったら、タクシーでもなんでも使わんと。

なにせ一日4往復。

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遊歩道の途中の信号にも、なんとなく踏切の雰囲気。

ただ廃止されたのは30年以上前。

周りは新しい家ばかりで、西寒川線が走っていた頃ここは道路だったのかどうなのか、それも分からない。

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こうして薄っすらと、鉄道の雰囲気を出してくれてるのは嬉しい。

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線路跡の脇にいい幅の空き地があったりすると、側線があって貨車が停まっていたんじゃないかとか、勝手に想像力が働き出す。

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終点、西寒川

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運転手いわく、日東タイヤの裏にあった西寒川駅。

日東タイヤは今も日東化工の名で、寒川町に本社を置く企業として存在し続けている。

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一度、来てみたかったんだ。

友人から「あの辺り行ったらとりあえず食っとけ」と言われていた、大正麺業の味噌ラーメンも食べた。

あの店、餃子も大きくて美味しそうで今度は絶対注文しようと思った。

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そんな話があったなあと思う。

寒川町は、今でも新幹線駅が欲しいのかな。