叶わなかった人生の話

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叶わなかったこと、悔いを残していること。

振り返りながら「今でも夢に出てくる」なんて、いいおっさんやおばちゃんが口にしたりする。

そんなに都合よく何度も同じ夢を見るものなんだろうか、というのは無粋だし本質ではない。

要はその人にとってのターニングポイント、その先にもうひとつの人生があったに違いない、それも現状より素晴らしくて美しくて幸せで…

という人生のパラレルワールドを語る時に使う、思いの強さを表す言葉としての「今でも夢に出てくる」なのだと思っている。

本当に寝ながら見た夢かどうかなんて重要じゃない。

 

ところが今朝、自分自身がそんな夢を見てしまった。

あれから20年以上の時が経っているのに、視界はやたらクリアだった。

 

1995年初頭。

阪神・淡路大震災が起こってしまい、村山富市首相が「なにぶん初めてのことなので…」とか話してしまってその対応を叩かれていた頃。

高校受験を目の前に控えた俺と両親は対立していた。

どうしても、どうしても行きたい高校があった俺。

人生で初めて学ぶことに意欲を持てた俺。

しかしそんな俺の希望を否定し、望まない高校への受験を強いた親。

インターネットで親を説き伏せる材料を探すこともできない時代で、生活力のない田舎の中学生は「嫌なら出て行け」と言われたらどうすることもできなかった。

数年後、親の口から「うちは子どもを自由に育ててきた。だから人生の選択まで子どもに任せたら存在意義がなくなると思っていた」なんて、分かるようで意味の分からない話を聞かされて唖然とした。

あれは反対のための反対だったのか。

ずっと視界が灰色で、懲役3年の刑だった高校生活。

死にたいと思わない日はなかった3年間。

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今朝見た夢。

友だちと、本当にあの時の姿形の友だちと、あの時のままの声で話しながら自転車で、試験会場に向かっている。

もうその時点で主観ではなくて、自分の姿も視界に入っている感じがして、ああこれは夢なんだと分かってしまう。

しかしそれでも夢は続いていって、とうとうあの憧れの高校に到着する。

門から入り、試験会場である校舎に入り、というところでついに目が覚めてしまった。

これはもう仕方がない。

俺は実際に試験会場には入れなかったのだから、どんなに脳の奥底までひっくり返してみても、それ以上の映像を作り出すことはできなかったのだろう。

 

休日出勤の朝なのに、 俺は気持ちが良かった。

気持ちがいいのに、恥ずかしいことに涙を流していた(起きたら流れてた!)。

あそこまで行ったのだから、夢の中の俺は無事に試験を受けただろう。

そうなれば合格間違いなし。

俺は気持ちが乗ればやれる男なんだ。

そしてなんの引け目も不条理を呪うこともなく高校生活を送り、地元の友だちを大事にしながら、心優しい男として生きていくのだろう。

マイルドヤンキー?

上等だ!

 

羨ましくてたまらないけど、嫉妬じゃない。

だってこれはもうひとりの俺の話。

俺には、幸せになって欲しい。