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親が死んだ日

日常

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 生きてる。

俺の両親はまだ生きてる。

だからこの記事は見出し詐欺という言葉があるのなら、そういうことになる。

 

だが、死んだ。

俺の知っている、俺を育てた両親は死んだ。

父も母も、死んだ。

生活の苦しさ、ライフプランの失敗、子どもへの金の無心。

俺が群馬に住んでいた年数の、さらに半分ほどの年数を暮らした家のローンが返せていないという。

父の退職金は全て返済に消え、それでもローンは残り、今は父の年金から返済を続けているという。

母はまだ、年金の出る年齢には達していない。

要するに、金がなくて苦しくてたまらないという。

世間には、よくある話だ。

 

家を売ることは考えなかったのか、と訊く。

「じゃあどこで暮らせばいいの?」

と母。

俺だって東武佐野線の、奇跡的に駅員が配置されているような駅から歩いて10分の中古住宅にさしたる価値があるとは思っていない。

今どき田舎の不動産は、買うより売るほうが難しい。

ただ何か、そういう状況に陥るまでに何か考えた痕跡はないのか、それを知りたかった。

結果、痕跡はなかった。

なんとかなるさで家を買い、思いの外給料は上がらず、それどころかカットされ、苦しみを抱えたまま今に至る。

やはり、世間にはよくある話だ。

 

朝から金の話ばかりをしながら、卑屈になっていくばかりでどうしてよいのか分からない両親の姿を見続けた。

俺も、随分と偉そうな態度をとってしまったと思う。

俺から見れば親が死んだ日だったが、親から見れば我が子が我が子でなくなった、「子どもが死んだ日」だったかもしれない。

 

「育ててくれた親を助けないなんて」

とは、俺の両親は言わなかったが、親戚連中は言うだろう。

言葉は独り歩きするから、

「あそこの息子は家を売れと言った」

なんて話題が、おそらく身内では展開されるだろう。

 

眠れる気がしねえな。