野村貴仁投手がいた頃

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清原和博の初公判。
求刑は懲役2年6ヶ月。
遠い。
清原和博はもう、遠くに行ってしまった。
ヤジ馬の視点でしかないが、裁かれるところまでいってしまうと、もういちいち話題にしなくてもなあ、という気持ちになる。
裁きを受け、その後は親友であるという大魔神らの助けによって、それらしい生き方をしていくのだろう。

高知県の片田舎で静かに暮らしながら清原について語り、ついには自分自身がクローズアップされるようになった、時の人。
写真は1999年2月発行のプロ野球選手名鑑。
家に取っておいた中で最古の物だ。
実家に帰れば1980年代後半の物もあって、それは選手の住所も記載されている代物で、西武の選手がたくさん住んでいる小手指のマンションも確認することができるのだが、ここはまず野村貴仁の話だ。

キリッとした、男前の顔つきである。
奥さんの名前と、今はもうアラサーになっている息子の名前も載っている。
愛車はベンツ。
オリックスから、やればやった以上に給料が上がる巨人に移籍して2年目、短評には「先発転向を訴え巻き返し狙う」とある。
しかし私には野村貴仁が先発した試合の記憶がない。 

マウンドに上がると目つきは鋭い。
しかしやたら吠えたり闘争心を剥き出しにするタイプとは違って、スリークウォーターの左腕から左打者のインハイへ、右打者のインローへ、それだけを課された機械のように、黙々と直球を投げ続ける。
鋭い目つきで、黙々と。
野村貴仁はそんな印象の投手だった。

今日テレビで、明らかに晒し者としての扱いだったけれど、今の野村貴仁がボールを投げている姿が映った。
顔も体も丸くなっていたが、あの頃と同じフォームだった。
単純に嬉しかった。