相模健康センター(神奈川県座間市)

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つまらないことばかり起こるのは空が青すぎるせいだ。

俺は悪くないし、たぶんお前も悪くない。

全部、空が悪い。
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1月4日は正月休み、おまけの一日。
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草津の薬湯、広さを凌駕するパワーのあるサウナ、15℃でさらにバイブラを効かせた水風呂。
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相模健康センターを知ったのはサウナ王のツイートだった。

それをきっかけに、初めて来たのが4年半ほど前。

当時は座間という土地にまったく馴染みがなく、今でもこの相模健康センター以外に縁がない。
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俺は死んだらまずサウナ玉泉に行こうと決めている。

相模健康センターは2日目だな、お通夜の前。

だって自分のお通夜だもの、主役だからこそ身綺麗にして出席したい。
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この2階は、10日の閉店より一足先に今日で閉鎖される。

子どもたちを連れてくることは叶わなかった。

チャンスなんていくらでもあった気もするけど、下の子が3歳で相模健康センターはハードすぎるよな。
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炭酸泉は直らなかった。

しかしサウナ室の12分計は直っていた。

壊れたまま「ごめんなさい」で最後の日を迎えることもできただろうに、気概を感じた。
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ここ何年かはずっとうんざりする仕事が続いていて。

「もう駄目だ」で投げ出して、昼過ぎに職場を出てしまって、向かうことが多かったのが横須賀のサウナトーホーと、ここ相模健康センターだった。

サウナトーホーまで行くのは相当に心がやられてそのまま失踪覚悟の気分になった時、相模健康センターを選ぶのはまだ夕方保育園のお迎えに行こうという正気が残っている時。
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サウナで汗をかいていると、綺麗なお姉さんが入ってきて、一瞬男たちの表情が緩んで、お姉さんは「アロマの氷掛けます」と言って、実際に氷をサウナストーブに掛けて、そうすると男たちは競うようにサウナ室を出て、バイブラの水風呂に身を沈めるのでした。
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平塚のグリーンサウナ、サウナトーホー、相模健康センター、そして2月で閉店する相模原のJNファミリー。

それぞれに理由はあれども、世が世なら一件くらいどうにかなったのではと思う。

もうお別ればかりでいい加減しんどいよ。
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さよなら、相模健康センター。

帰りはさがみ野駅相鉄ローゼンで、お土産にお菓子の福袋を買って帰った。

京王閣ガールズケイリン決勝◎増茂るるこ7着

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1月3日京王閣9レース。

ガールズケイリン決勝、俺の◎増茂るるこは7着でした。

つまりビリ。

差し目の予想をしたら前残りだったので、そこは見当違いだった俺が悪い。

しかし増茂もこのメンバーでビリはないだろうよと思う。

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天上天下唯我独尊、京王閣は他場の影響なんぞ受けずに延々と9車立ての競輪をやり続けるのかと思っていた。

それが最近は様子が変わっていて、今日は最後まで7車立て。

これは京王閣でミッドナイト競輪が行われる日も近い。

そうしたら残業帰りの俺は、京王相模原線の高架の上からバンクを眺めるのだろう。

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それにしても7車立ての競輪ってなんだろうね。

単純に9車立てより的中率は上がるはずなのに、そうもならない。

予想に筋道が立てにくくて、屁理屈すら作りにくい。

ここには神様なんていない、理屈なんて意味がない、宗教なんて信じない。
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相変わらず人々はマスクをし続けているけれど、競輪場にはコロナ以前の雰囲気が戻りつつある。

競馬場よりは、はるかにそう見える。

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当時はまだ、知見が少なかったのは確か。

しかし今はこうして競輪は行われているし、高校サッカーラグビーも行われているし、箱根駅伝も無事行われた。

高校野球を目の敵にして「開催すべきではない」と主張していた人たち、現状をどう考えているのだろう。

そして自身は今をどう暮らしているのだろう。

今日の東京の新型コロナウイルス感染者は816人だった。
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京王多摩川から柴崎まで出て神代湯でサウナと思ったら、正月の短縮営業でじっくり汗をかく時間は取れなそうだ。

笹塚のマルシンスパは絶対に混んでいるし、幡ヶ谷の観音湯は18時で営業を終了したとのこと。

結局終点の新宿まで行って、新宿区役所前カプセルホテルへ。

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五塔熱子さん、本当に人気者になったよな……。

ひとつの物事を続けていると、いつのまにか遠くまでいってしまうものだと思う。

新年あけましておめでとうございます

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新年、あけましておめでとうございます。

 

「今年もよろしくお願いします」と続けないのは、自分自身に今年を全うする自信がないからです。

仕事でも遊びでも、先に大声であれこれ言い出しておいて、面倒になると途中で消えてしまうタイプ、嫌いでしょ?

好きなわけないでしょ?

俺もそういう奴は呪いたいくらい大嫌い、言い出しっぺは最後まで見届けろよ。

と強気に出たところで、間違いなく今年の俺は途中で壊れるのです。

そして消えます。

壊れるのが身体なのか、精神なのか、全部ひっくるめて放り出してしまうのか、そこはこれから決定されます。

「今年の○月○日まではよろしくお願いします」と予定日も未定な状況なので、そもそも全般よろしくお願いするのをやめちゃおうという話なのです。

 

去年の、特に春がしんどかったのです。

それまで「無能は消えろ」の世の中だったのですが、「どうせ消えるなら一丁コロナに自爆テロしてから消えてくれる?」の流れに変わったのです。

使える者は死人でも使え。

火葬場で「どうせ焼くならこれも一緒に」とゴミやらなにやらと一緒に棺桶に詰め込まれる感覚です。

そういう発想、もしかしてエコなんですかね?

緊急事態宣言下の荒んだ街に丸腰で放り出されて、これまでより余計に働かされて、命の価値はどんどん下がり、どうしてか株価だけが上がり見知らぬ誰かは豊かになっている。

今の自分が生きているのは認識しているけれど、実質は去年の春で死んでいます。

そして今年はきっと実質が本質に追いつきます。

 

やっぱり「今年もよろしくお願いします」は言えんなあ。

世界はそんなに難しいものではないのに、誰も大した人間でもないのに、そう思っていたのにこぼれ落ちてしまったんだから、すべては思い上がりだった。

情けない。

恥ずかしい。

みっともない。

愛せなかった2020年

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東京都は31日、これまでで最も多い1337人が新型コロナウイルスに感染していることを確認したと発表しました。都内で1日に1000人を超えるのは初めてで感染の急速な拡大に歯止めがかかっていません。また、入院患者も過去最多で、重症の患者も緊急事態宣言が解除されたあとでは最も多くなるなど、医療提供体制のひっ迫の度合いが増すことも懸念されます。

NHKニュース)

仙台で聞いてもしんどいニュースだった。

一気に1337人か。

ここまでいくと検査方法や陽性率にもはや興味が向かない。

なんとなく意識を楽にさせてくれる情報を探しにいく気にもならない。

そしてこれから、その東京に帰らなくてはならない。

 

2020年はマスクの年だった。

年始の頃はまだマスクをしていなかったはずだが、それでも感覚としてはずっとマスクの一年間だった。

俺は2020年にうんざりしていたけれど、2020年の本当の顔を知らない。

なにしろずっとマスクだったからだ。

2020年には恨み辛みばかりだった。

すべてを2020年のせいにしていた。

残り時間が短くなって、紅白歌合戦も始まって、薄情にも今になって申し訳なく思う。

本当の顔を知らず、近づいて言葉を交わしたこともなく、そのくせに2020年を嫌っていた。

少なくとも一方的に嫌うのは冷淡すぎた。

もっと2020年を大切にしてやればよかった。

俺はまったく、2020年を愛してやることができなかった。

浪江町のサウナ

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常磐線の浪江駅はいかにも国鉄らしい佇まいで好ましかった。

ただ俺と一緒に降りた客は他におらず、それに駅員もいなかった。
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駅からの景色は荒涼としていた。

空き地ばかりで、所有権を主張する不動産屋の立て札が何本も刺さっていた。

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外壁のブロック塀は残っていても、建物はきれいさっぱり消えているのがよくあるパターン。

これは解体を希望すると国費が出る制度があったことに由来する。

タダならば、と誰しもが喜んで解体を希望したなんて話は、どこにもない。

思い出の詰まった我が家が、放射性廃棄物として処理される現実。

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2011年の東日本大震災があってから、何年か経った頃。

職場から浪江町に1人か、もしかして2人か、派遣されて仕事をする話があった。

俺は選ばれなかった。

結婚していてまだ子どものいない身は、除外される属性だった。

選別自体が酷いというのはまずあるとして、この地で長い時を過ごすことで人体に影響があるのではないか、それによって生殖機能を失うのではないか、放射能とはそのように作用するのではないか。

そう思われていた時代だった。

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結局、本当のところはどうだったの?

なんの作用もないのなら、故郷を離れた人たちが救われない。
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珍しく新しい建物があるかと思えば売り物件。

浪江町にはかつて2万人の生活があった。

全域に避難指示が出され、年月を経て徐々に解除され、今この地に戻ってきているのは1千人ほどだという。

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店は更地になっても、商工案内図だけは残り続ける。

これ、おそらく意志を持って残しているのだと思う。
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バスが来なくなったバス停。
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地面に張り付いた乗用車。
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浪江駅近くのホテルには「公衆浴場」の文字があった。

しかしこのホテルは復興に関する工事を行うJVの寮になっているらしい。

とてもとても、サウナに入ってみたいなんて言う気にならん。
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雨の中を歩くと「いこいの村なみえ」の看板がある。

ここはかつての浪江町民が戻ってくるために用意された施設。

しかし宿泊と入浴は、万人に開放されている。
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入浴料500円、対流式ストーブのサウナはカラカラの体感90℃弱で……などとここで品評するのは野暮だろう。

ただ水風呂は足先から痺れるくらいにキンキンだった。

これは季節によるものと思われる。
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俺は天才ではないし、博愛の気質でもないので、他人の思いを想像する能力は弱いかもしれない。

それでもある日突然バラバラになって、故郷を失ってしまった子どもたちに思いを馳せるとしんどくなる。